Ellinikonblue.com Weblog

夢は夢のまま終わらせない…

Posted on Oct 24, 2005 at 20:41

THE PERFECT IMPACT

 シンザンを知る人は言う。「シンザンは強かった…」
 僕はシンザンを知らない。
 ルドルフを知る人は言う。「ルドルフは強かった…」
 僕はルドルフを知らない。

 今までずっと羨ましかった。
 僕が知る唯一の三冠馬はナリタブライアンだった。
 ナリタブライアンは強かった。 しかし、そのころ競馬に興味を持ち始めたばかりの僕には、 他人に語れるほど、ナリタブライアンの「強さ」のことは分からなかった。

 圧倒的な力で春の二冠を制したサラブレッドの三冠達成を目撃するために、 京都競馬場に集まった観衆は 13 万 6701 人。 大観衆などと言う言葉が陳腐になるほどの目撃者を前にして、 二冠馬ディープインパクトは、これまでのレースでは見せたこともないような すばらしいスタートを切った。
 しかし、これが凶と出る。
 前に馬を置くことができずにディープインパクトはどんどん加速していく。 鞍上 武 豊 騎手は必死になって手綱をひくが、お構いなしにどんどん前へ前へと進出していく。
 一周目、メインスタンド前まで来ても、鞍上が引く手綱に逆らうように ディープインパクトは口を割って走っていた。 やっとメインスタンド前の直線の出口付近になって、 ディープインパクトは鞍上と折り合った。 しかし、そこはいつもの定位置ではない、隊列の三分どころ、ずいぶんと前だった。
 常識的に 3000m という長丁場のレースにおいて、 折り合えずスタミナをロスしていくことは最後の最後に致命傷になる。 このことがゴール前で、どのような結果をもたらすか…そのことが頭によぎり続け、 辺りの音を消していった。
 レースは淡々と進む。二周目の坂に向かって長かった隊列を徐々にではあるが縮めていき、 坂の頂上にさしかかって下りに向かうと、更にその度合いを早めていった。
 最終コーナー手前、ディープインパクトが動いた。
 馬任せで上がっていき、ディープインパクトを取り囲んでいた集団の先頭に外から並んでいった。 しかし、本当の先頭はまだ五馬身以上先にいた。 ディープインパクトが最後の直線に入って、悠然とまっすぐゴールを向いた。 本当にゆっくりと、一寸の無駄もなく最短距離でゴール板まで 突き抜けるために確認しているかのようだった。
 前半かかっていたシーンが頭をよぎる…「遅い!」…のど元までその言葉が出かかった。
 単独先頭で直線を駆け上がっていたアドマイヤジャパンとの差は、 通常であれば致命的な差であった。事実、他の馬は届かなかった。
 しかし…「時代が悪かった」…アドマイヤジャパン陣営が 後に残したコメントがすべてを物語る。
 競馬を始めてもっとも長い 20 数秒だった。 京都の直線がこれほど長く、これほど静かだったことはこれまでなかった。

 勝ちタイム 3'04"6 、上がり 3F 33.3 秒。
 七戦全勝、史上二頭目無敗三冠達成…一点の曇りも、 無論傷などあるはずもない…パーフェクトクラウンを戴いたサラブレッドの名は 「ディープインパクト」

 今までずっと羨ましかった…でもこれからは違う。
 「ディープは強かった…」
 何年経っても、きっとそう自信を持って言えると思える。
Turf Watch より)
Posted on Aug 20, 2005 at 22:10

コーラ好きの起源

 ごく私的な話で恐縮ですが、私は自他共に認める 「コーラ好き」 です。
 基本的に日本食であろうが、洋食であろうが中華であろうが、 出されればコーラを飲みます。できれば Diet がいいです。
 そんな私からのおすすめは、コンビニで売っている小割そばとの組み合わせ。 あのコンビニそば独特の粉っぽさを、コーラがすっきり消してくれます。

 いやいや、そんな B 級グルメ話ではなく (^^;> 、 このエントリは街でこんなものを見つけましたというお話。
Image:20050807ILoveCocaCola.jpg
 そもそもなぜ私がこんなにコーラ好きかを考えると、 幼少の頃、(コーラを飲むと骨や歯が溶けるとかいう) 偏った健康主義を実践していた親に飲ませてもらえずに、 中学になって家族と行動をともにすることが少なくなって、 自分の小遣いで飲み食いすることが多くなったときに、 押さえつけられていたものが爆発したというのが主原因だとは思います。
 しかし、中学生になる以前にも、親の目を盗みながらコーラを飲むことがあったんです。 それがこのヨーヨーブームのとき。
 そりゃもうコーラを飲んで王冠の裏をめくるくじで当てないともらえない、 銀色のラメの入ったプレミアヨーヨー欲しさに、 少ない小遣い集めて飲みましたよ。飲みまくりました。
 勿論、市販されていたコーラのロゴの入ったヨーヨーも買いました。 それもノーマルのやつではなく、糸が入っていく部分が広がっている ちょっと高い「プロフェッショナルヨーヨー」ってやつ(確か…)を無理して。
 そうやって親の目盗んで飲んだものの味って刷り込まれるんですかねぇ。。。 暫しして中学になってコーラ好きが決定づけられる、 これが伏線となったように思います。
# 結局、最終的には銀ラメのやつも当てました (^^)v

 こんなに歳くって、街中であのころ大事にしていたヨーヨーが、 復刻版のボトル一本(はっきり言ってこっちはどうでもいい)とで 280 円なんて言ったら、 いい大人でも買いますって。。。(たぶん (^-^;> )
 商売がうまいなぁ…

 で、開けてみたらファンタでもスプライトでもなく コーラのロゴの入った真っ赤なヨーヨーでした。 すごい嬉しかった。
Image:20050807ILoveCocaColaB.jpg
 皆さんにもこんな他人から見るとくだらないと思える ほんの小さな思い出ってありますよね(^-^)
Posted on Aug 02, 2005 at 00:09

歪んだ業界

「 音楽関連7団体が iPod などへの私的録音保証金適用を要望」AV Watch より)

 最初に断っておきますが、これはあくまで個人的な意見です。 現状の私的録音補償金制度には基本的にネガティブなイメージを持っていて、 以下のコラムにおける意見はもっともだと思っています。

「 私的録音・録画補償金制度では誰も幸せになれない」ITmedia より)

 無論、実際の著作権者に、その創造物に対して相応な対価が支払われることに異論はありません。 ですから、この補償金がなんのオーバヘッドも介さず (もしくは誰もが納得できる最小のオーバーヘッドで)、 各著作権者のもとに届けられる仕組みがあって、 その著作権者自身が明らかに不当な対価しか支払われていないと主張するのなら、 この制度にネガティブなイメージは持たないでしょう。
 しかし、残念ながら現実はそうとは思えません。 徴収されたお金の流れがまったく不透明な上、 このような制度ができてお金を徴収されるのは、 私的に楽しむ限度内で著作物を扱っているユーザからになるからに決まっているからです。 CCCD の顛末でいったい何を学んだのでしょう?

 まったく話は変わりますが、 「 前世代文化の後遺症」 というエントリを書いた際、 Blog Bookmarks. の chalice さんから 以下のようなご意見をいただきました。
各社独自のスタイルを貫いて欲しいとそのように思います。 媒体でも持ちたいと思う人がいなくならない限りはメディアでも出版し続けて欲しいです。
 曲解していたらごめんなさい。
 確かに何かを創造するにあたって「オリジナリティ」というものは不可欠なものです。 例え楽曲がネットワークで配信される形が主たるマーケットを成すようになっても、 CD やドーナツ盤をリリースし続けるというのもオリジナリティでしょう。
 しかし、音楽レーベル各社にあって、そのオリジナリティというのは、 本来は「発売する楽曲」にあるべきであって、親会社や関連会社の戦略によって流通方法や 流通先を制限するオリジナリティや、ましてや CD-R や HDD に税金みたいなものをかけて 儲け先を増やすオリジナリティはいらないと思うのです。

 レーベル各社にお伺いしたい。
「あなた方の本来業務とはなんですか?」
Posted on Jun 18, 2005 at 00:21

文化だなんてまだ言えない

「 人気ブログの“ランキング八分”──『まりも』の場合」ITmedia より)

 ブログというメディアが登場し、 それを無料で提供するプロバイダのサービス合戦を経て機能が充実して、 個人にも自由に表現を発信できる新しいツールが普及していっているような 気がしていました。
 けれど所詮、それはプロバイダ企業が作り出した流行を流布し、 維持するための公告塔であって、 ちょっと堅い言い方をすると「言論の自由を行使する場を提供する」などという 文化的な側面はまだないんだなぁと痛感することがあります。
 これまで成り振りかまわず成長を続けてきたのだから、 もうそろそろ IT 業界も収益や利便性、効率化以外のものを生み出すようになって欲しい、 なるべきだと思うのです。
 ブログが話題になり、それが書籍化されるなどして注目を集め、 出版という文化と比較されるようなことも増えてきました。 しかし、様々な人の個性に対して寛容さを持てないのであれば、 ブログ「文化」などと口にするには、まだ時期尚早ではないでしょうか?
Posted on May 28, 2005 at 22:44

何も言えない…ただ…

 結構、歳を重ねて、社会人になって結婚もして、 自分なりにそれなりに成長してきているつもりで日々を過ごしている。
 それでも人の死というものを目の前にすると、咄嗟には何も言えない自分がいる。
 何も言えない…ただ…心からご冥福をお祈りします。 そして、ありがとうございました。これだけのことしか言えない自分がいる。
 いつかこんな自分からも成長できる日が来るのだろうか。。。
Posted on Feb 28, 2005 at 00:00

yukiakari は消えない

 真冬の雪明かりが輝いたのを目にした。昨日の夕方のことだった。
 信じることしかできずに、ずっと見守っていた。 それは一瞬の輝きだったけれども、僕にとってすごく嬉しい出来事だった。

 今日は何かいいことがありそうな気がする。
 僕をここに導いてくれた雪明かりは、絶対に消えない。 これからもそう信じている。
Posted on Feb 10, 2005 at 11:00

yukiakari の消える日

 真冬に輝く雪明かりが消えようとしている。

 今、僕の目の前にある蒼い海は、 ずっと遠くにあった雪明かりを頼りの一つに歩き続けて たどり着いた場所だから、 あの美しい雪明かりが消えようとしていることが哀しくて仕方がない。

 僕は雪明かりが消えるところを見たくない。
 僕がここから叫んでも、きっとこんな勝手な思いは届かないのだけれど、 たとえ今は消えてしまっても、あの光が照らしてくれた道程を、 僕はずっと憶えていたい。
 またいつか真冬の雪明かりとは思えないほどの 明るい光がこの海を照らしてくれると信じたいから…
Posted on Dec 31, 2004 at 01:12

文章を書くということ

 今年始めたことで、一番自分の身になったものを考えてみると、 どうやらこの blosxom で 構築したこのブログではないかと、ふと思いました。

 大学卒業を前にした四年の就職活動を始めようかという頃にもなって、 まだ「自分は何をしたいのか?」ということがわからないでいました。 中学生の時に PC に出会い、プログラムを創る楽しさに魅せられ、 その頃から、ひたむきにプログラマーになることを目指していたのですが、 大学に来て様々な才能を見せつけられ、 プログラマーとして成功するための資質が自分には備わっていないことを 思い知らされました。
 結局、進学することになって、 考える時間だけは余るほどあったので、あれやこれやとあてもなく 考えるだけ考えました。
「コンピュータを使って何かを創造する」
 そういうことがやりたいんだと漠然と考えをまとめて社会に出でて、 結局、今に至っても自分の目指していたものには まだほど遠いことをやっているような気がします。
 そうであるという自覚があるからこそ、 それなりのストレスを感じながら仕事に従事していて、 そんなストレスを blosxom で 構築したこのブログが、 最近はそれとなく解消してくれているような気がするのです。

 思いつくままに文章を書いてみて、初めて自分の知識が蓄積する様をみて、 自分の中にある何かを探そうと、自分が目指そうとしている何かを形作ろうと、 しているのかもしれません。
 そんな風に考えてみるのも今はなにやら無性に楽しいのです。
 この文章を最後までごらんになってくれた方々には、 また是非来年もこんなブログにおつきあいくださいますよう、よろしくお願いします。
Posted on Nov 09, 2004 at 22:24

CSS Valid ではない理由

 最近、 Web Designing 2004 年 11 月号の特集記事「 CSS で、ここまでできる!」を読んで感化され、 再度 XHTML + CSS の勉強をし始めているところで、 当 Weblog も XHTML 1.0 Transitional valid にしてみました。 具体的には XHTML にしたがってフレーバーを書き直し、 snapimg プラグイン で使用するセレクタを id から class に変更しただけですが、 公開している全ページを valid にするには過去のエントリをすべて XHTML に準拠したコードに書き換えないと駄目なので、 これは後々の課題ということで今回は保留。
 しかし、勉強をし直せばし直すほど、今まで書いてきた自分の HTML コードを見直すと なんとアドホックだったのだろう…とちょっと赤面するくらい 恥ずかしくなってきます。なにやら C のコードが ある程度思い通りにかけるようになってから、 ポインタをよく理解していない頃に書いたレポートのコードを見て、 恥ずかしくなった大学時代を思い出しました。

 ついでに RSS Feed も valid だったので、フッタ部分に ロゴつけてみました。はい、単なる自己満足です。
 しかしながら、CSS に関しては valid にはなっていません。
 公開している当サイトのフレーバーの CSS を見ていたければわかるのですが、 当サイトの CSS ではすべて色を RGB のコードではなく 色の名前で指定しています。
 実際のところ、たとえば「 white 」と指定するところを 「 #ffffff 」と指定してしまえば、現状でも ほぼ CSS2 に valid なコードになるのですが、それより個人的に色を名前で 指定する方がすごく自然に思えます。
 長いことコンピュータの世界に足をつっこんだままになって、 「 #ffffff 」と言われても「 white 」と考えることに、個人的には ほとんど違和感のない人なのですが、逆にコンピュータとは比較的縁遠い人たちにとって、 この無個性な 16 進数による色の表現はどう感じられるのでしょうか?

 大学時代の恩師と呼べる方に 「プログラムコードとは文学だ」 と 教えられました。 実際に一握りの天才と呼ばれるレベルのプログラマが書いた コードは芸術的なほど読みやすいことを実感するたび、 極端な表現ではありますが、師の教えを思い出します。
 プログラムコードではないですが、 無機質なコンピュータを利用した表現の中でも「ウェブデザイン」という 大衆からその芸術性を認められつつある世界の「 valid 」が、 万人に読解しにくい暗号のようなコードを含むということが、 個人的にはどうしても納得できません。

 この Weblog の CSS が valid ではない理由。 それはこんななくだらない感情論です。
---
「色の名前」 (近江 源太郎/ネイチャープロ編集室 著) という本があります。時々読むでもなく眺めると心が少し和みます。
色の名前
ネイチャー・プロ編集室 著
( KADOKAWA )
¥2,750
Posted on Jun 17, 2004 at 18:39

欲求の積み重ねの始まり

 ここ最近、私事でばたばたしていたその傍らこの blosxom の構築をやっていたのですが、 構築が一段落つき「さぁ何を書こうか」と思い始めた頃になっても結局ばたばたが収まらず、 そのまま何を書くかについても答えを出す時間がありませんでした。
 つい先日、その忙しなさに慣れたのか、本当に落ち着いてきたのか、ふと考える時間ができ、 「そんな理路整然とした知識の蓄積をする必要もないのではないか」と思いました。

 ある程度練った文章を書くことについては、競馬のことだけとはいえ、 Turf Watch の方で、 本人が思っていたより長く続いています。
 また、さして多くもない知識ではありますが、その蓄積は PukiWiki の方で これからもこつこつやっていこうと思っています。
 Turf WatchPukiWiki が、 私自身の「理性の集積」であるのであれば、この blog はもっと混沌とした 「欲求の集積」であってもいいのではないかと言うのが、 そのときでた思いつきであり結論でした。

「文章を書く」という行動にそのものに対する挑戦か、誰の言葉かは忘れましたが 「一生をかけて他人にどれだけのことが伝えられるのだろう」という疑問に対する挑戦か、 それはわかりませんが、私は「書く」という欲求をどうも抑えきれない人間で、 そのことでこれから何かに挑もうとしているようです。

 理知的な議論もいいでしょう。それはそれ、確かに知的な刺激になります。 しかし、ただひととき楽しいだけの雑談も確かに楽しい。 そんな取るに足りないことかもしれないことを書き残すことで 何かを伝えられるかどうかはわかりません。 欲求が赴くままに書いてみて、それでもし読んでいただいた方が、雑談をするような楽しさを 味わってもらえるなら、それは「何かを伝えた」ことにならないだろうか… そんなことを考えながら続けていけたらと思っています。