長い歴史の中で、たとえば「ものを食べるときに使う道具」はいろいろ進化してきたはずですが、 今現在にいたって、スプーンがあり、フォークがあり、ナイフがあります。 日本は箸だけあればすべてがすむやん!という人もいるかもしれませんが、 ステーキを食べるのに箸だけで食べてる人はあまりいないでしょう。
目的が変れば道具も変る。 道具と呼ばれるものは、それを使って達成するべき目的のために進化する、最適化されるのであって、 決して道具をむやみに進化させて、それ一つで何でもこなすというのは摂理とは逆なのです。
「一つの道具ですべてを済まそう!」
そう考えるのはどうも IT 業界独特の性癖のようなもので、 ですからスマートフォンなり何なり革新的な道具が登場すると、 すべてをそれでまかなおうと考え、作る側もこれさえあればすべてができるというような喧伝をします。
この失敗はすでに PC で犯されたものです。
PC 一台あれば何でもすべてができる! PC メーカーはそう言い続け、ひたすら性能向上を追い求め、 すべての人が使うわけがないようなソフトウェアを誰しもに必要であるかのように刷り込み、 プレインストールするアプリケーションをむやみに増やし続け、性能の肥大化を続けたわけです。
ところが性能向上が必要なアプリケーションの進化が見られなくなり、 さらにウェブアプリケーション時代になると、ブラウザさえ動けばそれでいいというネットブックがブームになり、 そしてついにスマートフォン、タブレットが出現すると「 PC などいらない」と言い出す人も 現れるようになったわけです。
今、同じことがスマートフォンに対しても起こっています。
盲目的な性能向上、画面の大型化、本体の無理な薄型化… 「スマートフォン一つがあれば何でもできる」、ここまで話せば、それは嘘だとすぐにわかるはずです。
おそらくそれが真実のように語られ、このまま過去の PC 同様、性能の肥大化に突っ走れば、 いつかスマートフォンより小回りのきく革新的なデバイスが出現したとき、 肥大化しきったスマートフォンはあっという間に駆逐されるでしょう。
そしてその時、きっと「スマートフォンなんていらない」、そう言っている人がいるはずです。
道具としての PC やスマートフォン、タブレットでなすべき目的は、本来それぞれに違うはずなのです。 それが認識できない人が、安易に「不要論」を口走る。きっとそういう人は流行に敏感なのでしょう。 ただ、その人たち自身が、その道具が本来持つ性能を十二分に発揮できているかは疑問です。
スマートフォンが道具としてなすべき目的は何か、それを明確にした上で、 最適なサイズと性能はどうあるべきか? それを iPhone SE は問うている。そんな気がします。
多様化の時代だから、プロダクトが多様化するのは当たり前、 それでは単に時代の流れに飲み込まれているだけです。 どんなに多様化しようとも最大公約数を探し続ける、それこそが知恵を絞るべきところでしょう。 でなければ、すべてオーダーメイドでものを作っている人が、すでに世界を制しているはずです。
そして、iPhone と iPad 、そして Mac を決して統合しようとはしなかった、 一つで済まそうとはしなかったスティーブ・ジョブズ氏には、同様の想いがあったのではないか、 勝手にそう感じています。