最近本業が忙しいせいか、ちょっと世事に疎くなり始めています。 これは個人的には重大な問題で、飛び抜けた能力を持っていない以上、 幅広い情報が収集できないと言うことは、 もの考えぬ「歯車」になってしまうと言うことに等しいからです。
 ただ逆に論理的な部分が薄れてくると、 感覚的な部分が研ぎ澄まされてくることも確かで、 そのために普段感じないことも感じるようになってくることもあります。

 最近つくづく感じること。
 「物事を丸く収める」などと言いますが、ミクロな部分でそれができても マクロには決して「丸く収まっていること」などないと言うこと。 破滅的な論理かもしれないですが「誰かが幸せになれば、誰かが不幸になる」ということ。 それをひしひしと感じます。

 世の中全体は、少し空気の抜けたボールのようなもので、 膨らんだところを押せばへこむし、 別のへこんでいたところが膨らんだりもします。
 今自分が不幸を抱えていて、不幸のない完全な幸せを求めれば、 たぶん誰かが不幸せになる。でもそんなことばかり気にしていれば、 一人不幸を背負い込むだけなのもよくわかるのです。 それはきっと一人の問題ではなく、身近な人たちも不幸にします。
 しかし一人一人がほんの少しだけ「不幸」を飲み込む勇気を持てば、 もう少しみんなが幸せになれるのかな? もうちょっと世界が丸に近づくような気がします。

 別に何らかの宗教とかに感化されたわけでも何でもないのでご心配なく (^^;;;;;>
 個人的にはそれなり不幸で、それなりに幸せです (^^)